文明ノ獣

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作品紹介

私たちは獣だった

高度成長という檻の中で咆哮していた

焼け跡にラジオが流れ、日本がひざまずき泣く

その片隅で、双子の兄妹が生まれた

凶暴な兄と薄幸の妹

ひとつの魂に狼を宿し

故郷を捨て、素性を捨て、お互いを捨てて、大人になった

そして記憶の底に封印していた、あの事件がよみがえる

私たちは獣だった―

レトルト内閣、近鉄アート館初進出!

双子の数奇な運命を通じ、激動の戦後70年を描く

あらすじ

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戦後七十年史

私たちは獣だった

1945年(昭和20年)

終戦

8月15日、昭和天皇が「玉音放送」によって、日本政府がポツダム宣言の受諾を申し入れ、第二次世界大戦が終結した。

GHQ占領時代 / 闇市

連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が東京に設置され、日本は初めて他国の占領下に置かれた。兵役からの復員や外地からの引揚げなどで都市人口が増加し、食糧や物資は圧倒的に不足していた。空襲による焼跡や空地が不法占拠され、工場や作業場などに残っていた製品を持ち出し商品として扱う闇市が成立した。警察のヤミ物資の取り締まりを見れば人々は急いで店じまいをし、退散し検挙を逃れることが多かった。また闇市には、主として在日米軍将兵を相手にした街娼(通称:パンパン)の姿も見られた。

1946年(昭和21年)

極東国際軍事裁判

1946年から1948年にかけて、連合国が「戦争犯罪人」として指定した日本の指導者などを裁いた。東京裁判とも称される。

1950年(昭和25年)

朝鮮戦争

1950年、朝鮮民族の分断国家であった韓国と北朝鮮が朝鮮半島の主権をめぐりおこした国際紛争。東西冷戦の文脈においてアメリカとソ連の代理戦争といわれている。この戦争によってアメリカ軍から日本企業への発注が急増し、日本経済は戦後の不況から脱することができた。

1954年(昭和29年)

ゴジラ怪獣ブーム

当時社会問題となっていたビキニ環礁(アメリカの核実験場)に着想を得て製作された特撮映画。身長50メートルの怪獣ゴジラは、人間にとって恐怖の対象であると同時に「核の落とし子」「人間が生み出した恐怖の象徴」という社会風刺としても捉えられ、日本国外でも上映、大ヒットとなった。

1957年(昭和32年)

ホッピングブーム

バランス感覚を競う子どもの遊びとして全国的に流行。しかし「胃下垂になる」「脱腸になる」という噂が広まりブームは急速に下火となった。なお、この噂は医学的根拠のない都市伝説である。

1958年(昭和33年)

東京タワー完成

総工費28億円をかけ、当時では世界一となる333メートルの高さを誇る東京タワーが完成。日本の技術を集結し国産の材料で建てられた世界一の自立鉄塔は、戦後日本の急速な経済成長のシンボルとして注目を集めた。

フラフープブーム

アメリカでのブームが伝播し、日本のデパートでも一斉に販売を開始。大人の運動器具や子どもの遊具として注目を浴び、販売店に行列ができるほどの爆発的ブームとなる。しかし「フラフープで腸ねん転になった」という噂によりブームは急速に沈静化。日本のフラフープブームは40日足らずで終焉となった。なお、この噂は医学的根拠のない都市伝説である。

1950年代後半

電化製品 三種の神器

白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の3品目の家電が「三種の神器」として喧伝された。この「三種の神器」は努力すれば手が届く夢の商品とされ、新しい生活の象徴であった。

1960年(昭和35年)

所得倍増計画

1960年、当時の池田内閣のもと「今後10年間で国民総生産を26兆円に倍増させること」を目標に策定された長期経済計画。その後の日本の経済成長は計画を大きく上回るものとなった。

1964年(昭和39年)

東京オリンピック

アジア地域で初めて開催されたオリンピック。有色人種国家における史上初のオリンピックでもあり、第二次世界大戦での敗戦後、急速に復活を遂げた日本がふたたび国際社会の中心に復帰するシンボル的な意味をもった。

1967年(昭和42年)

全学共闘会議 結成

俗に言う「全共闘(ぜんきょうとう)」。1960年代後半に全国的に起こった大学紛争の軸となった学生組織。全共闘は各大学などで結成されたため、その時期・目的・組織・運動方針などはそれぞれであったが、学費値上げやベトナム戦争、日米安保条約への反対運動などが主体であった。日大全共闘や東大全共闘が有名で、学生のデモ隊と機動隊のあいだでバリケードやゲバ棒、火炎瓶などを使用した激しい暴力闘争が繰り広げられた。

1950年代~60年代

集団就職

労務省などの斡旋により、地方の若者が東京・大阪など大都市の企業に集団で就職した。義務教育を終えたばかりの安価な労働力は「金の卵」と重宝されたが、良好とはいえない生活環境や労働条件の厳しさから離職する人も多かった。集団就職は1960年代から70年代後半にかけて減少し、80年代にはほとんど見られなくなった。

1960年代~

公害問題

高度経済成長をとげる一方で、日本は深刻な公害問題を抱えるようになった。「水俣病」「イタイイタイ病」「四日市ぜんそく」といった公害病の発生を機に経済最優先の政策の見直しを迫られ、公害対策基本法の制定につながることになる。

1970年(昭和45年)

日本万博博覧会

大阪府吹田市の千里丘陵で開催された国際博覧会、世に言う「大阪万博」。「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、世界77カ国が参加した。敗戦後、飛躍的な経済成長を成し遂げた日本がアメリカに次ぐ経済大国となったことを象徴する意義深いイベントとなった。

1970年代後半~

ディスコブーム

1978年、ジョン・トラボルタ主演の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が日本公開されて大ヒットしたことで、繁華街に多数のディスコが開業した。原宿の歩行者天国でラジカセを囲み奇抜な衣装で踊る竹の子族が流行ったのもこの頃である。

1983年(昭和58年)

ファミリーコンピュータ発売

子どもだけでなく大人も夢中になって遊んだ家庭用ゲーム機。圧倒的な普及率の高さから当時の子ども達の遊びや話題の主流を占めるに至ったが、「ゲームに没頭し勉強をしなくなる」という理由から反感や嫌悪感を示す保護者や教育者も存在し、頑として買い与えないケースも見られた。

1987年(昭和62年)

ワンレン・ボディコン

前髪から後ろ髪までが同じ長さになるようにカットした「ワンレングス」という髪型に、体のラインを強調した「ボディコンシャス」な服装が流行。1986年12月1991年2月までの51ヶ月間に起こったバブル時代の象徴として挙げられることが多い。

1991年(平成3年)

バブル経済崩壊

景気が急激に後退し、失われた10年と呼ばれる_低成長期に突入した。バブル崩壊の原因は、政府による不動産融資総量規制政策と言われており、土地・不動産の売買が急速に落ち着いた。地価・株価が急激に落下し、1989年には40000円近かった日経平均株価も1992年8月14000円近くまで大きく下落した。
バブル景気を支えていたのは株価・地価の高騰だったため、それらが下落とともに企業の業績も悪化し景気が衰退した。銀行からの借入金が返済不能となる企業が増加し、銀行は巨額の貸出金が回収不能・停滞状態となり不良債権問題は10年以上にわたって日本の銀行経営を行き詰まらせる要因となり、不況を長期化させることとなった。

1995年(平成7年)

阪神淡路大震災

淡路島北部を震源として発生した、M7.3の地震。近畿圏の広域が大きな被害を受けた。特に震源に近い神戸市市街地の被害は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。

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エレガンスロック演劇

華やかなのにダーク、B級なのに耽美という独自路線を開拓し続ける劇団レトルト内閣。その舞台はエンターテインメントでありながら、音楽から想起されるパフォーマンスアートとしても高評価を得ており、エレガンスロック演劇という独自のジャンルを切り開く。
2001年、関西学院大学の演劇サークルを母体として、座長・川内信弥(かわちしんや)を中心に旗上げ。演出・脚本・音楽は三名刺繍(みなししゅう)が担当。HEP HALL、ABCホールなど、大阪の劇場中心に2015年現在で22回の演劇公演を重ねてきいる。

近年の作品

酔筆奇術偏狂記

第22回公演「酔筆 奇術偏狂記」
(2014年8月 HEPホール)

脚本・演出の三名刺繍が、自らの祖父であるマジシャン・金沢天耕(1909-1995)をモデルに書き下ろした、ヒストリカル・マジック戯曲!!

「酔筆 奇術偏狂記」特設サイト

ゴシップ

第21回公演「ゴシップ」
(2013年11月 HEPホール)

噂に支配される架空の村を舞台とした心理サスペンス演劇。映像プロジェクションマッピングを駆使したステージ演出も必見。

「ゴシップ」特設サイト

倦怠アヴァンチュール

第20回公演
「エレガンスROCK 倦怠アヴァンチュール」
(2013年2月 HEPホール)

劇団代表作の再演作品。明るく切ないニューハーフの生き様を描いた大阪発エレガンスロック演劇。

「倦怠アヴァンチュール」特設サイト

金色夜叉オルタナティブ

第19回公演「金色夜叉オルタナティブ」
(2012年6月 HEPホール)

近代文学の金字塔、尾崎紅葉の「金色夜叉」を大胆リメイク!新解釈・エレガンスロック版「金色夜叉オルタナティブ」。

「金色夜叉オルタナティブ」特設サイト

猿とドレス

第18回公演「猿とドレス」
(2011年9月 ABCホール)

ファッション業界が舞台の心理サスペンス。オリジナルのデザインを求めるあまり、追い詰められてゆくデザイナーの心理的暴走と混沌を描いた。

「猿とドレス」特設サイト

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みなししゅう

三名刺繍

劇団レトルト内閣全作品の脚本・演出・音楽を手掛ける。
演劇と音楽に留まらず、映像や身体表現から影響を受け、パフォーマンス性の高いステージングを展開。耽美と笑い、詩と音楽を自在に行き来するエンターテインメント空間を築く。
演奏家としての顔も持ち、バンド「白色テロル」を主宰。 2013年の解散まで、全楽曲の作詞作曲を手がけた。